そもそも普通って何ですか?
子どもの時って、みんなと違うことは悪い事だと教えられる。
他と違うことはいけないことって教えられる。
周りと同じことしようね。
みんながAをやっている時はAをやろうね、Bをやっちゃダメだよ。
これは学校に限らず家庭でもそういう教育をしている人は多いと思う。
この間もお店を走っている子どもに
ほら、店員さんに怒られるから走ったらダメだよ
え?違うよね?
店員さんに怒られるから…じゃないよね?
だから子どもの社会でも普通じゃないというのはいじめの理由になったりする。
でもちょっと待って。
普通って何ですか??
社会に出ると、人と違うことが求められるよね?
社会に出ると、自分で考えることが求められるよね?
全員とは言いませんが、多くの人が営利法人に就職をするわけです。
当然そこは資本主義社会の世界。
他と同じことをしていたのでは、相対評価の中で自然淘汰されてしまう世界。
だから他社と違うことをして利益を上げようとする。
出世のためにも、他人と違うことをして結果を出そうとする。
あれ?
何か…ちょっとおかしくない??
矛盾に気付きました??
子どもが言うことを聞かないと悩んでいるママさんやパパさんのアドバイスになれたと思います。
ママさんやパパさんも本当はどこかで分かっていると思います。
だって多分、今自分がその立場にいるんですから。
子どもを育てる上での矛盾
子どもを育てる時、多くの親が求めるのは恐らく普通であるということ。
私も親なのでその気持ちよく分かります。
テストの点数が毎回100点じゃなくてもいいんだけど、かと言って他の子より低い点は…。
100m走で一位にならなくてもいいんだけど、最後はちょっと…。
出来れば人よりいい大学に入って、人よりいい会社に就職して、安定的な人生を…
そんなイメージを持って子育てをしているのでは?と思っています。
自分の子どもが幸せにならなくていいと思う親なんていません。
自分の子どもには、せめて人並みの人生を歩んで欲しい
でも、少しひねくれた言い方をします。
人並みって何を、誰を、どのレベルを指してますか?
この状況って、多くの子どもは高校卒業までという何十万時間もの間、同調圧力の中で生きているとも言えます。
そんな風に育ってきた子どもが、学校を卒業して会社に就職した後突然、今度は他の人と違うことを求められる訳です。
そもそも今までの人生でそんなことは教えられてきていないのに。
要は18年以上他の人と一緒、もしくは周りに迷惑をかけないようにと教えられて育っている訳です。
他の人と違うような行動をするにはそれ以上の月日がかかるのも無理がないと思いませんか?
多くの管理職や先輩が「考えれば分かるだろ!?」
と思う要因はコレだと思います。
結論として、本当に子どもの将来を考えるなら、子どもの個性としっかり向き合うだけで十分だと思います。
ADHD(注意欠陥/多動性障害)について
私の大切なかいくんは他の子どもとちょっと違う、ようです。
- ジッとしてられない
- シーッてしてなきゃいけない場面でもしゃべっちゃう
- 感情のコントロールがうまく出来なくて、すぐカッとなっちゃう
- 周りの感情が分からない。
- 空気が読めない
特性としてはこんな感じです。
ADHDの可能性有りって言われています。
ADHDは、「注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害」とも呼ばれます。
主な特性として、不注意(集中力がない)、多動性(じっとしていられない)、衝動性(思いつくと行動してしまう)といったものがあります。
・不注意:授業中集中出来ない、忘れ物が多い
・多動性:授業中に席に座っていられない
・衝動性:カッとなるとすぐ手を出してしまう
さらに特徴の現れ方で3つのタイプに分類されるよ
・不注意優勢に存在
⇒不注意の特徴が強く、多動・衝動性の特徴が弱い
・多動・衝動優勢に存在
⇒多動・衝動性の特徴が強く、不注意の特徴が弱い
・混合して存在
⇒両方の特徴を満たしている
かいくんは混合して存在の可能性と言われているね。
そんなこともあって、かいくんは定期的に薬をもらいに行っています。
とにかく感情の起伏が落ち着くように。
ジッとしてられるように。
薬を飲んでるかいくんは確かに大人しい。
言うことも比較的よく聞くし、感情が爆発することも少ない。
でも、何だかな。
超つまんない。
かいくんらしくない。
だから私が休みの日は薬を飲ませない。
かいくんはね、かいくんらしくてそれでいいんです。
ただそこに存在してくれるだけでナーにとっては有り難いし愛おしい。
そもそも子どもは全員個性的で魅力的!
最近世の中の風潮?に対して感じるのは、とにかく普通でいるべき、みんなと一緒が正しいって押し付け過ぎてる気がしてならない。
何かあると、そうならないようにしようとし過ぎてないかと。
結局、問題解決能力が育たないんですよね。
だから適度に失敗させてあげないと。
国民的アニメのドラえもんって、ホントにいい作品だと思っています。
ドラえもんにはとても魅力的なキャラクターがいます。
ジャイアンがいてスネ夫がいてのび太がいて出木杉君がいる。
ジャイアンだって魅力的だし、スネ夫だって魅力的だし、のび太だって魅力的。
多くの親はやっぱり出木杉君になって欲しいんだと思うけど、全員魅力的なキャラクター。
でもアニメの中で繰り広げられるイベント1つ1つが、現代だと中々体感することが難しい。
喧嘩をして勝ったり負けたりした時の感情と向き合うこと。
優越感や劣等感、そういう感情と向き合うこと。
本来それってとても大切な教育なんだと思う。
暴力は決して褒められたことではないけど。
殴ることで自分の拳の痛みが分かるし、殴られたら痛みも分かる。
勝った後の何とも言えない虚しさや、負けた時の悔しさ。
こういったものと向き合うことって人格形成の上では重要な経験だと思う。
少し脱線しますが、ジャイアンの有名な以下のセリフはご存じですか?
お前の物は俺の物、俺の物は俺の物!!
このセリフに代表されるように、アニメ版のジャイアンって横暴なイメージが強い。
ですが、このセリフのもう一つの意味をご存じでしょうか?
ドラえもんのアニメに「ハチャメチャ入学式」というお話があります。
詳細は割愛しますが、色々あって入学式にのび太は遅れ、さらにはランドセル迄無くしてしまいます。
一方、のび太がいないことに気付いたジャイアンは雨に打たれみんなが諦めかけても必死にのび太を探し、ランドセルも体を張って取り戻してくれます。
そんなジャイアンにのび太は尋ねます。
どうしてそこまでしてくれるの?と。
だって、お前の物は俺の物、俺の物も俺の物だ!
友達の物も自分の物のように大事にするのが当然。
人の痛みも我が痛みのように感じ、人のために全力を尽くす!
そんなジャイアンの男気があふれた言葉として使われたのが、かの有名なあのセリフです。
アニメ版と違い、映画版のジャイアンは仲間たちに対する思いやりや勇敢さが強調されて描かれてますよね。
ドラえもんの世界にあるこういう経験って、絶対社会に出てから役に立つと思います。
全員平等なんてあり得ない
以前、子どもたちの学芸会に行ったら桃太郎が5人もいました。
しかも時間制で後から別の桃太郎がさらに5人出てきました。
正直愕然としました…。
これが今の普通よ?
この教育、大丈夫ですか??
残念だけど、資本主義社会において全員平等なんてことはあり得ません。
評価された達成感、評価されなかった悔しさや屈辱感。
それを感じた子どもと親がどう向き合うかっていうのが子育てなんじゃないかと思う
子どもがやりたい役になれなかったからと学校に文句を言うのは親の役目じゃない。
どうしてその役がやりたかったの?
なれなくて悔しいよね。
やる役のいいところってないかな?
そうやって対話をしながら気持ちの整理方法を教えたり、次の目標へ促してあげることが親の役目なんじゃないかと思う。
大切なのは子ども自身が自分で自分の幸せを見付けること
全員が主役である必要はないと思う。
かいくんは自分から望んで木の役を選んだ。
理由はセリフがないから。
動かないしセリフないし練習楽チンじゃん。
こんなこといちいち真面目にやってらんないよ。
一番大変なのは動かないでいられるかだな。
ドヤ顔で動かないことを目標にしているかいくん。
私はそれでいいと思う。
もーちゃんはかぐや姫を希望した。
なりたい人は全員なれたようだけど、それってどうなの?と思う。
かぐや姫ってホントの物語にもこんないっぱいいるの?
子どもながらに変だと思っているようです。
自分の幸せって、自分で決めていいと思っています。
ヒルズ族になったら幸せ?
タワマンに住んだら幸せ?
年収1,000万になったら幸せ?
マイホームを持てたら幸せ?
私は外的要因でなる幸せにあまり価値は感じません。
私は私という人間をありのままで受け入れてくれるまーちゃんと出会い。
粗暴で迷惑ばかりかけられるけど、素直で元気なかいくんの父になり。
おませで引っ込み思案なくせに、実は誰より頑固なもーちゃんの父になり。
今、とても幸せです。
周りから見たらちっぽけな生活に見えるかもしれません。
でも、私の幸せを否定する権利なんか誰も持っていなくて。
私が幸せだと思うなら、それが真実なんです。
最後に…
かいくんやもーちゃんにとって、今の世の中は私が子どもだった頃以上に生きにくい世の中なんだと思う。
特にかいくんは私が子どもの頃より
もっと辛い気持ちになる機会が多いんだと思う
でもね。
かいくんはかいくんらしさを忘れないで。
もーちゃんはもーちゃんらしさを忘れないで。
自分が正しいと思う道に向かって胸を張って生きて欲しい。
どんな人生だろうと、自分自身の人生を生きて欲しい。
誰かの顔色を窺った人生って、要は他人の希望を叶えるために生きるということ。
それって、他人の人生を生きてるっていうことだと思う。
かいくんともーちゃんは、ナーとまーちゃんが望んで望んで望んで巡り合えた大切な子どもなんだから。
どんな結果になろうと、自分自身の人生を生きて欲しい。
人は生まれた時、自分は泣いて周りが笑っている。
だから死ぬ時は、自分が笑って周りが泣いてくれる。
そんな人生を送りたいし送って欲しい。
ナーもまーちゃんも、それだけを強く望んでいるよ。
今日も一日ありがとう。
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