子どもの反抗期とその対応方法や考え方

育児
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子どもの反抗期って、思っていたより心をえぐられますね…。


どうも。
ナーです。

どの家の反抗期もこんな感じなの?

かいくん
かいくん

いちいちうるせーんだよ!
〇ね!
ク〇が!

毎日のようにかいくんが暴言を吐きまくります。

暴言だけではありません。

暴力をふるったり、物を投げたり、唾を吐いたり、もう傍若無人ぶりが中々すごい。

特に朝が顕著です。

かいくんは朝起きるのがとにかく苦手。

朝、目覚ましが鳴っても降りてこず、1Fからまーちゃんが「遅刻するよ!早く起きなさい!」と言います。

すると、大体こんな感じの言葉が返ってきます。

かいくん
かいくん

いちいちうるせーな!分かってるよ。


とか…。

かいくん
かいくん

起こし方がムカつく。〇ねや!


とか…。


親としては学校に遅れたらとか、歯を磨いたりしなきゃだろうしとか、色々考えた上で起こしているのに。

ましてや朝の場合、この嫌な気持ちから一日が始まる訳なのでたまったもんじゃありません。

また、私も朝は苦手で、感情のコントロールが未だにうまくいきません。
朝から子どもとまーちゃんの喧嘩?のような感情のぶつかり合いを聞いていると、感情が抑えられなくなってしまいます。


私自身も自分の反抗期が中々ヒドかった自覚はありますが、どうなんだろう…。

これ位は普通の反抗期なのかな…?


そして最近は、その様子を見て「あ、これでいいの?」と思ったのか、もーちゃんも同じような感じに…。

体感的にW反抗期です。。。

子育てにアドラー心理学!?

そんな中、私のお気に入りの本が役立つなと思いました。


岸見一郎さんと古賀史健さん著書の『嫌われる勇気』です。

ベストセラーにもなった本ですし、説明は不要かな?という位の名著です。

アドラー心理学というものについて、対談(議論)形式で書かれていてとても読みやすいし、理解しやすい。
個人的にはこの『嫌われる勇気』とセットで後編の『幸せになる勇気』も合わせて読んで欲しい。


『嫌われる勇気』ではアドラー心理学の大枠についてというか、コンセプトを中心に書かれています。
『幸せになる勇気』ではアドラー心理学を実際やってみての葛藤や矛盾をどのように乗り越えていくかのようなものが書かれています。

簡単に言うと、理想と現実、ですかね。

私の場合は子育て用に読んだ訳ではなく、ビジネス用に読んだんですが…。

子どもに対してどう接していいか悩んでいる時に、ふとアドラー心理学って子育てにも通じるものがあるなって気付きました。

そもそもアドラー心理学って何?

すごーくざっくり言うと、アドラー心理学とは全ての悩みの原因は対人関係であるという前提のもと、それを解決するためにどうする?というものです。

世界(周り)がどうあるかではなく、あなたがどうあるか、という考え方になっています。


そんなアドラー心理学で子育てに役立つなーと思った考え方は以下の2つです。

  • 目的論
  • 課題の分離


ちょっと難しい言葉ですよね。

簡単に説明すると以下の感じです。

・目的論
⇒人は何かをする時に、原因があって結果があるのではなく、目的があってから行動しているという考え方です。

・課題の分離
⇒これは誰の課題なのか?という視点から、自分の課題と他人の課題を分離することで対人関係の衝突を避ける考え方です。


順番に説明していきます。

アドラー心理学の目的論とは?

本書において、目的論の事例としてこんな事例が紹介されています。


引き籠りになったのは、トラウマが原因で引き籠りになったのではなく、引き籠ろうとして自ら引き籠っている。
仮にトラウマが原因で引き籠りになったのであれば、同じ境遇だった全ての人が同じように引き籠らなければ説明が出来ない。

もちろん過去の出来事が少なからず今の自分の状況に影響していることは否定しません。
ですが、今自分が行動している状況を、過去が決定したということは断じてない、という考え方です。


少し屁理屈のように聞こえますよね?笑

もう少し身近な例もありました。


「怒る」という感情は目的があって作り出されたもので、何かの原因によるものではありません。
例えば子どもを叱っている母親は、その行為で子どもを屈服させたいという目的があって怒っているのです。
子どもが不始末をしでかしたという原因で怒っているのではありません。


そんなことないよ!!と最初は私も読みながら思いました。
その次にはこんなことが書かれています。


その証拠に、叱っている母親が、担任の先生から電話を受けた瞬間、急に上機嫌な声で受話器に話しかけた様子を覚えている人も多いでしょう。そして、電話を切った後また子どもを叱り直すのです。
つまり、母親は感情に支配されてはいなかったのです。


あー…

確かに、と思う節は少なからずあります。


そして、目的論を踏まえて子どもをよく見てみると、自立するためにやっている行動なのかな?と思うようになりました。

今までは親の言うことを比較的聞くことで守られていた環境から、自我が芽生えて自分なりに色んなことを決めたいって思い始めたのかな?と…。

なのに、いつまでも子どもは自分の言うことを聞くものだと決めつけて命令してくる親を、ウザい存在って見ているのかもしれません。

意識しているかしていないかは分かりませんが、子どもの言動から何となくそんな気がします。


私はあまり育児に参加してこなかったこともあり、これから!!って思っていたのですが、早々に子離れしなければならない時期がきてしまったのかもしれません。

仕方ないのかもしれませんが、正直すごく寂しい気持ちです。

アドラー心理学の課題の分離とは?

課題の分離は誰の課題なのかを考える、というのは既に記載しました。

じゃぁどうやって誰の課題なのかを見分けるかというと、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰?」と考え、それを引き受ける人の課題ということになります。


例えば我が家の朝のいざこざに当てはめるとこんな感じです。


朝子どもが遅刻したら可哀想だ、歯磨きもしないで言ったら学校でいじめられるかもしれない。
だから親として起こさなきゃいけないと思って起こしていた。



起こしている私や妻にしてみれば、子どものためにしているのだから「ありがとう」って言われるはずなのに「うるせー!〇ね!!」と暴言を吐かれて心が疲れる。



課題の分離をしてみると…

  • 遅刻して怒られるのは誰?
    ⇒子ども
  • 授業受けられなくて困るのは誰?
    ⇒子ども
  • 不衛生で友だちにバカにされたりいじめられたりするのは誰?
    ⇒子ども



親関係なくない?自分の問題じゃないのに勝手に首を突っ込んで人の課題を解決しようとするから揉めるんじゃ…?



感謝するかどうかは相手の問題で、感謝されないことに不満をもっても仕方ないじゃん。



他人の課題に関わらなければ、子どもから文句を言われることもなくなるし、お互い嫌な気持ちにならないよね!?



結論:朝起こすのをやめましょう。


こんな感じでしょうか。

勉強しなさい!もきっと同じチャート?で解決する気もします。

勉強しなくて困るのは、子ども本人であって親じゃありません。
子どものためだからって思う気持ちは私も親なので十分分かるんですけどね。

子どもの将来が心配とか言いながら、実際は自分の支配欲を満たすためだったり、自分の世間体や見栄のためだったりする一面もあるのかなーなんて思ったりもしました。

そういった潜在的な思考が、子どもの課題にも拘らず不必要な介入に繋がっているのかと…。


不必要に干渉すると、やらない言い訳に親を使われてしまって、結果としてお互いいい結果にならないと思います。

本書の中にイギリスの諺が記載されていました。


「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」

結論:親子であっても他人は他人

子どもはいつまでも子どもではありません。

自我も芽生えるし、決断したいという欲求だってきっと出てくる。

何て言えばいいのか分かりませんが、今までは「子育ては手がかかる」と言っていたものを「目がかかる」という表現になるのでしょうか…。

大人の世界でも「目をかける」って言葉ありますもんね。

子どもも大人と同様、自分なりの考えがありますし、感情もあります。
これは親がコントロール出来るものではありません。

血が繋がっているとはいえ、自分ではない他人、という考えをまずはしっかり持つことが大切なのかなと思います。

少し離れたところから俯瞰的に客観的に見守っていて、子どもが自ら困って助けてくれと言った時に初めて自分の課題として出来ることをしてあげればいいのかなって思うようにします。


とはいえ、我が子は息子も娘もび っ っ っ っ っ っ っ くりする位勉強しないんですよ…。


心配…。

黙って見守ってやるなんてこと、出来るのかな…。


私は子どもの頃、ホントに勉強してなくて、大人になってからその分人の何倍も苦労して勉強しました。
だから子どもにはそんな苦労をさせたくなかったのですが…。

親の気持ち子知らずってやつですね…。


最後に…

感情的に嬉しかったり、腹が立ったり、寂しかったり、思わず叩いてしまって悲しくなったり…。

感情がジェットコースターのように乱高下する子育て。

思っていた何十倍も大変で、仕事だけやっていた頃がどんなに楽だったか痛感するここ数年。

ようやくこれから!って時に訪れた突然の親離れ。(と勝手に私は思っている)

正直すごく寂しいしモヤモヤする。


でも、数年前まで私の記憶が「無」だった時に比べれば何億倍もマシ。

まーちゃんの苦しさや子どもの変化の中に自分が間違いなく当事者として存在している。

それだけも今家族であることを実感出来る。

私は私に出来ることしか出来ないけれど、少しずつでもその出来ることを増やしていって、父のようになりたいって子どもに言わせたいし、結婚してよかったと死ぬ瞬間にまーちゃんに言わせたい。


それを目標に今日もまた1日頑張ろう。


いつもありがとう。

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